ちゃん西ニュース

T.M.R・a.b.s・西川貴教さんのニュースを拾ったりまとめたり、ライブやテレビ・ラジオの感想・レポートを書いたりしてる個人ブログです。

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忘れないように

これから書いてあることは多分、いえ、楽しくも無いし、
気分が悪くなることかもしれません。
ただ、忘れたくないのですみませんが利用させて下さい。



朝の5時39分、父が亡くなりました。享年71歳でした。
病院が大嫌いな人なので我慢出来るまではと思ってたようですが、
さすがに仕事出来なくなったら困ると思ったのか、数週間前から整形外科に通っていました。
最初はなんともなさそうな顔していたのですが、徐々に様子がおかしくなり、
「どこでもいいから連れてってくれ。」と母に訴え、3番目の姉と供に病院へ。


普段からあそこが痛いとか、病院へ行こうということが無く、
ぼくらにもそういうことを父が言う、するという感覚が無かったせいか、
検査して少し入院するくらいだろうと思っていたものの、
朝出て行ったのに夜まで連絡が無く、おかしいなと思うようになりました。


夜になって2番目の姉から「お父さん、末期の癌なんだって。今夜がヤマかもしれないって。」と電話が。
出かける直前に見た父の痩せた顔が浮かんで、「そっか。」と妙に納得してしまいました。


1番目の姉と旦那さんが迎えにきてくれて、父が居る病院へ。
入って、病室へ行くと散々泣いたんでしょう。腫れた目をした2番目の姉が居て、
外にはおろおろしている3番目の姉と旦那さんがいました。
母は気分が悪くなり、ベッドのある部屋で休んでるとかなんとか。
あまり親戚や家族で揃う事がないのでなんだか不思議な気分に。


家族が揃ったことで医師の方々に案内されて、父の病状の説明を受ける為に別室へ移動。


「発端はどこかわからないですが、腎臓や肝臓とか、これ?わかりますか?下半身のあちこちにまた骨にも転移しちゃってるんですよ。癌が。」
素人にもよくわかるくらいに写真にはいくつも白い点がありました。
「今夜が恐らくヤマかと。」

渋い、申し訳なさそうな表情をする医師の方々を見て、
「まだ父が来たばっかりだからそんな風に思わないで下さい。」と思う自分と、
「これドラマみたいだわ。」と思う自分が揺れていて、よくわかりませんでした。


医師の話を聞いて、推測する限り、数ヶ月前から、もっと前からかもしれませんが、
父はもう癌に侵されていたようです。


数年前に車にひかれて、助かったものの、体に後遺症なのでしょうか。
ある時期が来ると手が痺れるようになったり、
鉄筋工という鉄筋の組み立てをする仕事をしていて、
ま、ガテン系なので、仕事でよく怪我をしたり、体を酷使していたクセみたいなものがあったからか、
痛み=怪我と勘違いして気付かなかったんでしょう。
病院行くこともないから気付かないままで。


ただ、その痛みも先生が「ここまで耐えるなんて凄い。」という程にひどい状況の中、耐えていたそうなので、
表現が下手なのか、心配をかけたくなかったのか、めんどくさかったのか、
わからないけど、とにかく我慢をし、人には頼らないがポリシーの人なので「らしいな。」と思わずにはいられませんでした。


病室へ戻ってからは姉達と交代で父の看病を。
体を動かす気なのか、動かない足を動かしたい、感覚を忘れたくないといった感じで、
また痛みに耐えたいからとぼくらにマッサージを要求しては、
「そこじゃないんだよなー」「違う、違う。」
意識が朦朧としてるのに必死で目を開けて、ぼくら姉弟4人を確認しては悪態を付いたり、
気にすんなといった顔をする父。
それを静かに見守る母。


もう最期が近いのに悲しいのになんか幸せでした。
ようやく家族が6人揃ったなって気がして。


父は男だからというのがあるのかぼくには遠慮なく自分のペースで接してくるし、
ぼくも対応出来るんですけど、
姉達や母にはシャイな人で、大好きなクセにうまく接することが出来ませんでした。
そんな父同様に家庭を持ったこともあって、どこか距離を取ってしまった姉達。
長年連れ添ったことでどこか素直になれなくなってしまった母。
ぼくが子供の頃からずっとそんな感じでした。
末っ子で姉達とは歳が離れているから意見を言えず、
ましてや父と母には言える訳がない。
そんな家族をずっと見ていたので仲良しなのに仲良しになりきれていない感じが歯痒かった。


でも、状況が状況だったからか、
もうなんも気にならないよって感じで皆がやり取りをして、
痛いのに嬉しそうな父と姉達が居て。それを見てる母が居て。
ぼくが居て。
やっとお互い素直になったなー、家族って感じがするなと思えたことがたまらなく幸せでした。
きっかけがあまりにも悲し過ぎるけどw


そういうやりとりをしていく中で、
父はもう思い残すことが無くなったのか、痛みから解放されて、静かに息を引き取りました。
癌と闘ったとは思えない穏やかな顔で。
勝ち逃げしたってことでしょう。


急なことや心情を考えて、直接、父へ癌とは伝えないままでしたが、
察しが良い人であり、また嘘を付くのが下手な家族ばかりなので、
気付いていたと思います。でも、言わない。それすらも耐える。
最期まで我慢して耐える。仕事やたばこや酒飲みまくって好きなことしまくって死ぬならしょうがない。
が口癖だった父。
自分の信念をかっこ悪くても最期まで貫いた父がぼくの父で、そして自分が息子で良かったなあと思いました。


この後のことを考えれば、不安が大きいです。
ただ、父が、人がこれだけのことを頑張れば出来るんだよという形みたいなものを見せてくれた以上、
へこたれていられないなと思います。


冷静に考えても、落ち着くまでに時間はかかるかもしれませんが、
諦めずに耐えていければどうにかなるのかな。お父さんよ。


そんなことを思った、忘れられない1日の話。
お父さんありがとうございました。これからも大好きなんでよろしくー


と、西川さんネタではなく失礼しました。



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