ちゃん西ニュース

T.M.R・a.b.s・西川貴教さんのニュースを拾ったりまとめたり、ライブやテレビ・ラジオの感想・レポートを書いたりしてる西川さんが好きなおっさんの個人ブログです。

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ミュージックポートレイト第一夜のトークを振り返りながら、T.M.Revolution西川貴教とはどういう人かどういう活動をしてきたのか改めて振り返る

7日に放送されたミュージックポートレイト シーズン6。
T.M.Revolution西川貴教✕高橋みなみの第一夜。


ゲスト2人の影響与えた音楽を紹介しつつ、人生のポイントを振り返っていく番組です。
過去の放送を何度か見ていて、丁寧に出演者のことを追っていく番組だな〜という印象が強くて、
期待しか無かったのですが、放送を見て、期待通り過ぎました。


で。今回は番組での話を振り返りながら、
他のインタビューなどでも語っていたことも挟んで、
西川貴教という人はどういう人なのか、改めて振り返ってみようかなと思います。



ミュージックポートレイトはは45分で5部構成。
第一夜(前編)、第二夜(後編)という形になっています。



お2人のその時、その時の大切な音楽を取り上げながら、
当時の心境について振り返っていきます。



幼心に刻まれた音楽

最初は子供の頃の話。
西川さんに多大な影響を与えたおじいさんの話から。


ナレーターの方の「戦争を生き抜いた豪快で明るい祖父は西川の憧れでした。」という語りが終わった後、西川さんが話を始めます。



「普通はランドセルを置いて。じゃあ…何時に集合とかなんだけど。(両親が共働きで)それが出来なかったから。」



「何をするにもじいちゃんと一緒で。」



「人生って初めて体験することがあるじゃない?」



「初めて映画館に行きますとか。初めて人のコンサートに行きますとか。」



高橋「初体験。」



「全部じいちゃんと一緒だったから。」



高橋「へ〜」




そんなおじいさんが好きだったのが鶴田浩二さんの同期の桜。


youtu.be


「初めてのコンサートが鶴田浩二さん。」



高橋「え〜」



「鶴田浩二GIGw」



高橋「なんですか?w」



「鶴田浩二GIGから人生がスタートしてるからw ワンマンw」



高橋「ワンマン?w」



高橋「結構渋いじゃないですか?知ってるとはいえ?」



「渋いとか、渋くないとかじゃなくて。」



「オレにとってじいちゃんが喜んでるものが全てだったから。」



「だから。今とかさ。音楽なんてファイルじゃん?」



「でも。当時はデッカイこんな…カセットも。カセットもこんなカセットじゃなくて。」



「8トラっていう…」



高橋「何それ?」



「ガチャンって入れるカセットがあったの。」



高橋「何それ?え〜!」



「じいちゃんが次の曲!って言うと、車の運転中にオレがじいちゃんの好きな曲をセレクトして。」



高橋「8トラ?」



「8トラをハメるのが役だった訳。」



「それで一節歌うと喜んでくれる訳。」



高橋「は〜」



「だからとにかく自分の人生において誉められたいとかさ。ていうのの対象が全部じいちゃんだった訳。」



「だからもうじいちゃんがオッケーつったら。それが全て。みたいな。」



「それぐらいだったので。」



「だからもう学校が終わって。子供と一緒…皆近所の子と遊んだり、同級生と遊ぶっていうよりもじいちゃんと一緒に。戦友会の皆さんと一緒に温泉に行ったりとかw」



「そういうのがオレにとって1番楽しかった。」



高橋「でもそこから来てますよね。絶対。西川さんのコミニケーション力。」



「そうそう。」



たかみなさんが言うように西川さんのコミュ力はこの頃が元になっているのかもしれません。
やたらお年寄りに気に入られるためか、「国民の甥」なんて冗談言ったりしますしねw
子供の頃の経験が活きてるような気がします。


ラジオを始め、ルーツの話になると必ず出てくるおじいさんの話。
他のインタビューでもおじいさんについていろいろと語っているのでちょっと拾ってみました。



その祖父はウキ釣りがすごく好きで、休みの日はよくびわ湖に連れていってもらいました。その頃は、何をするにも祖父と一緒。祖父は警察官で、無骨で、体も大きくて、とにかく豪快な人でしたね。


引用元
びわ湖毎日マラソン大会応援サイト byケイ・オプティコム│西川貴教さん インタビュー(前編)


テレビ東京系のアニメ「ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ」の製作発表会見が26日、東京都内で開かれ、主題歌を歌うT.M.Revolutionこと西川貴教が「警察官だったおじいちゃんが理想のヒーロー」とヒーロー論を展開した。


 最強ヒーローチーム「アベンジャーズ」と5人の少年たちが、地球の平和のために戦う物語。西川は「祖父は地域の要として人と人をつなぐ役割を果たしていた。厳しくいさめるだけでなく、輪をつくるのがヒーローに求められる条件ではないか」と熱く語った。


引用元
www.sponichi.co.jp


西川さんの憧れのおじいさんですが…
体が大きくて。豪快。=最近の体を鍛えてるところや力強さやロックな言動。
地域の要として人と人をつなぐ役割=イナズマロックフェスを始めとした滋賀での活動。


と、考えると西川さんはおじいさんのような人になりたいのかな?と思えてきます。



夢を与えてくれた音楽


ここから青春時代の話に移ります。
西川さんは小学5年生の時、大好きなおじいさんを病気で亡くします。

「こう筋肉も付いててガタイもデカくてみたいなじいちゃんが。」



「ドンドン、骨と皮だけになってって。」



「で、もう急に。目の前から何の予告も無くいなくなっちゃって。」



「もう何していいのかわかんなくなっちゃって。」



高橋「そうですね。」



「それまでもう土曜日学校終わったらじいちゃん行くって決めてたのが。それも出来なくなっちゃったし。」



「…結局もう1人で。…過ごしたりする時間が長くなってて。」


おじいさんとの突然の別れから、1人でラジオのFM放送を聴くようになっていった西川さん。
その辺の経緯についてはインタビューで詳しく語っています。


実は、僕が音楽に心酔するようになったのは、小学校高学年のときに、そんな祖父を病気で亡くしたのがきっかけなんです。それまで剣道を習いに行っていたのも、勉強をがんばったのも、祖父に「ようがんばった」って褒めてもらいたい一心でやってたことでした。その祖父がいなくなって、急にやることも、行くところもなくなってしまった。それで凝り始めたのが、FM放送。当時、滋賀は今ほどFM局が充実していなくて、番組の企画もざっくりとしたものでした。アナウンサーがタイトルを読み上げて、映画のサントラをだらだらと垂れ流すだけという画期的な番組とか(笑)。それをすべてカセットに落として、一本のアルバムを作るということをやってましたね。



引用元
びわ湖毎日マラソン大会応援サイト byケイ・オプティコム│西川貴教さん インタビュー(前編)


当時はUSのハードロックが元気な時代。
西川さんはそれに強く影響を受け、バンド活動を始めます。
その時に聴いていた音楽の中で紹介されたのがVan HalenのJump。


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「地元でイベントがあるつって。出た時に。なんか連絡先教えて欲しいとか初めて言われて。」



「初めてその…じいちゃん以外の人に褒められた!と思って。」



「なんだろう?褒めて欲しい人が増えた?っていうか。」



高橋「なるほど〜」



「そうか。この人達が褒めてくれるってすげえ嬉しいことだって思えるようになって。」



「それで急にドーンとやっぱ変わって。」



「もうすげえ勘違いしたと思うよ。」



「もうすごい。あのね…ホントに。ただの田舎の高校生なのに、オレ、普通に電車で握手とかサインとかしてました。」



高橋「え〜」



「今、書いてるサイン、その頃から書いてるサインですw」



高橋「あのサインですか?w」



「はい。あのサインじゃねえよw」



「でも、それでオレやる!って思っちゃったんだよね。」



高橋「え〜」



「何にもコネも無いのに。」



「オレ、音楽で。オレ、音楽の人だ…ってw 勘違いw」



高橋「あはははwww」



「バカじゃない?w 今のオレ…自分、自分の息子がそんなこと言い出したら、ホント強く怒るけどねw」



この時期に音楽へと傾倒していったことについては先程のインタビュー記事でも語っていて…

そこから一人孤独に洋楽やロックを聴き始めるようになるんですけど、中学にあがったら、一人二人くらい同じ学年に音楽好きがいて。そこで「あいつ変な音楽聴いてるらしいで」ということで交流がはじまって……。人が音楽にのめり込むのにはいろんなきっかけがあると思うんですけど、僕の一番のきっかけは、音楽で人に褒めてもらえたことでした。祖父との生活以来、やっと人に褒められることを見つけた。それで音楽以外のことは考えられなくなってしまったんです。


引用元
びわ湖毎日マラソン大会応援サイト byケイ・オプティコム│西川貴教さん インタビュー(前編)

この時に感じた孤独な想いと「褒めてもらった」という成功体験が今の西川さんに繋がっているのでしょうね。



打ち砕かれた夢

番組は青春時代からバンドとしてデビューするまでの話へと進みます。


「オレの中ではハタチまでになんとかしなきゃっていう勝手に自分の中で決めちゃってたから。」



高橋「はいはいはい。」



「で。意を決して大阪に出まして。」



高橋「1人でですか?」



「そう。」



高橋「1人で?行動力エグいですね?」



「いや…でもだって。やるしか無かったしね。」


ハードロックに傾倒していた西川さんですが、
当時流行していたのヴィジュアル系バンド。
デビューを目指していた西川さんはその流行に乗り、Luis-Maryに参加しますが…

「メンバーとも全然、ソリも合わなかったし。」



高橋「あれ?あれ?マズイぞ〜w」



「合わないんだったら内で、オレと一緒にやんない?って会わしてくれたのが、ラルクのテッちゃんだった。」



高橋「ははw ヤバ〜!」



「ちなみにお客さん入ってるところで機材セッティングしたりとかするから後輩が付いてくれたりするんだけど。」



「オレ付きの1番最初の後輩。あの…ソフィアの松岡。」



高橋「…面々がエグいw」



「もしかしたら。オレ、ラルクアンシエルだったかもしれない…w はっはっはw」



バンド活動していく中で、研究として、それまで聴いてこなかった邦楽を聴き始める西川さん。


ナレーションではよく語っているBOOWYに触れた後、
PERSONZのDEAR FRIENDSを紹介します。


www.youtube.com


「J−POPとか。J−ROCKとか一切触れて来なかったので。」



「そんな中で。モダンな音楽な訳。」



「普通のバンドサウンド+打ち込みとかシンセサイザーだったりとか。」



「どうやったらこんな音出るんですか?みたいなのがいっぱい流行って。」


当時の流行、エッセンスを取り入れ、西川さんはいよいよメジャーデビュー。


その当時の映像を見ながら、西川さんと高橋さんがトークを。


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「それこそ。あなた91年生まれじゃないですか?」



「ボク、最初のデビュー91年ですから。」



高橋「うわ〜w」



高橋「あたしが産声を上げた瞬間に?」



「オレも産声をあげてましたw」



(タブレットでLainy BlueのMVを見る2人。)



「見なくていいでしょ〜w」



高橋「え〜!」



「もういいw もういいw もうw」



高橋「ちゃんと自分の見てw ほら?w 見てごらんw」



「向き合いたくないのこの頃とw」



高橋「見てごらん。」



「何が?w」



高橋「始まりの自分と向き合いなさい?w」



高橋「…え〜! …髪のボリュームが3、4倍あるよ!これ!」



「これより…だって。大阪にいる頃、オレ。髪、腰まであったから。」



高橋「えっ?ロング?」



「それをせーのって上に立ててから、ちょっと寝かすw」



高橋「はははwww」



「(髪を寝かす動きが)バンザーイ、なしよってw」



デビューはしたものの、ブレイクすることなく、ルイマリーは解散。
同時期に活動していたシャ乱QやLUNA SEAが順調にステップアップしていく中、
西川さんは自宅に引きこもっていきます。


「自分ちにこもって。とにかく曲を書く。みたいな。うん。毎日でしたね…」



「イヤが上にもね。雑誌見たりとか。次こういうアルバム出すんだとか。ドンドン入って来るし。」



「だから。テレビを見るのも怖くなったし。ラジオも付けらんなかったし。」



「そういうこう…外からの情報を一切…遮断することで自分をギリギリ保つみたいな。」


そんな時、聴き続けていた曲。
FishboneのFight The Youth。


youtu.be


「凄いな!と。」



「何とも違う…そういうこう…オリジナリティじゃないけど。」



「そういう物がなんか持てたらいいな〜と凄く思ったし。」



「もっと自分が出来ることとか。自分がなんか…目指すところの大きさとかを凄い感じて。」



「でも。何のツテも。何のアテもない。」



「…でもね。…やめれなかったんだよね…」



高橋「それは何でですか?」



「…それしか無かったから。」



「それ辞めちゃうともう…それまでの自分の人生が…ねえ?なんだったのか。」



高橋「まあ…そうですね…」



「もうその頃で23、4だったし。」



「そうするともう…10年ぐらい。…ちょうどだから…AKBから今までのあなたと同じぐらい期間…自分が…」



高橋「あ〜!戻れないわ!」



「そう。否定されちゃうことになるから。」



高橋「戻れない!」



「戻れないと思って。」


このFishboneのFight The Youth。


以前、小林克也さんのラジオ番組に出演した際もルーツミュージックであると語っています。
現在の活動について、またT.M.Rにも繋がっていると話をしていたので、ご紹介したいなと。


「今、こう…ソロもありながら。バンド(a.b.s)も並行して。ず〜っとその中でやっぱり自分のルーツミュージックみたいなものをどこかで消化させたいって気持ちがあったんで。」



「それがT.M.Rってのはやっぱり凄く実験的な音の作り方をしてて。で。また自分のルーツとは違ってたので。」



「それをどっかで消化させたいなと思って。バンド始めたんですけど。」



「その聴いてもらうと音の作り方とか、バンドの作り方とか。その当時から構想としては凄くあったんで。」



小林「成功するデビューの前ってのは浪人期間とか、大学の4年生とか?」



「そうです。こういうことがやりたい。こんなことがあったらどうだろう?ってのがやっぱいくつもありながらも。実際歌う場所がなかなかなかったので。」



「そういう意味では…逆に飢えた感じがそのままソロのあの…T.M.Rのガツガツした感じにたぶん繋がってったと思うんですけどね。」



引用元
2010年 TOKYOFM SOUND IN MY LIFE ゲスト出演時

ひきこもりながら楽曲制作に明け暮れる期間を経て、
ヘアメイク・美容師の横原さんの紹介により、T.M.Rのプロデューサーとなる浅倉大介さんと出会います。



栄光のステージへ

その浅倉さんの印象について語る西川さん。



「誰ですか?って思ったしw」



高橋「ははw」



「情報遮断してたしね。」



「で。そういう音楽に興味も無かったしね。」



「さっきのFishboneみたいのやりたいつってたのにw」



高橋「そうですよね?」



「なんですか?これ?と思ったw」



続けて、T.M.Rとして活動していくことについても。



「今まで自分が作った曲。詞しか歌ったことが無かった…のに、また全然違った…こう…ダンスミュージック的なもの?」



「歌うことに対する抵抗感もあったし。」



「それをやってる自分の曲を当時のバンド仲間とかが聴いたらどう思うんだろう?とか。」



「変な話…売ったなと思うかもしれないな〜って。」



高橋「売ったな…w」



「魂ね。」



「そこで自分の葛藤も正直あったし。うーん…」



高橋「でも歌ってく訳じゃないですか?その曲を。」



「うん。うん。」



高橋「歌っていく中で変わることもありました?」



「正直、その時の自分に何かを選ぶ選択肢は無かったよね。」



高橋「う〜ん…」



「これ歌って生き残っていくか。…そうじゃない人生を選ぶか。」



「だったから。」



放送中、ツイッターを見ていたのですが、
ここでショックを受けてる人を結構見掛けましたw
「T.M.Rを否定してる!」とか「大ちゃんの音楽イヤだったんだ…」みたいな。


言い方を聞いてる限り、浅倉さんに対しては、当時、単純に知らない音楽をやってる人という印象で、
それを面白可笑しく言ってるように聞こえました。
邦楽よりは洋楽派の人ですし、
情報も遮断してたとなると、普通に知らなかったんだな〜と。


「抵抗感」に関しても引っ掛かってる人が多かった気がするんですけど、
嫌いなことをやっているというよりも、仲間がやりたい音楽で成功していく中で、
自分だけ違うことをして再び世に出ていく抵抗感を強く感じていたんだろうと思います。
バンドで成功したかったという気持ちがとても強かったがために。


それはもう口々に語っていますからね…
その時、払拭出来なかった想いがa.b.sの結成やT.M.Rのライブでの強いバンドサウンドに繋がっているのも見て取れますから。


歩けなかった道とは違うものの、音楽で歩ける道が浅倉さんによって提示された。
とにもかくにも音楽で生きていきたい西川さんはそこを選ぶしかないと飛び込んだ。
そういうことなんじゃないかなと思います。
T.M.Rにも浅倉さんにも敬意が無いとかそういうのではないと思うんですけどね。
じゃなかったら、未だに活動してない気がするのですが…


さて…。番組の方に話を戻して。
T.M.Rとしてデビューし、着実にキャリアを積む中で、
西川さんにとって、T.M.Rにとって大きなターニングポイントとなる曲が紹介されます。



その曲とはHEART OF SWORD 〜夜明け前〜。



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「長かった夜が明けます。」というナレーターの方の言葉の通り、
ここから一気にブレイクしていく西川さん。


テレビの露出も増え、トークも注目されていったというVTRが流れた後…


高橋「しても話術は異常ですけどね。」



高橋「…異常ですよね?w」



「そういう…そう…いや、でも…」



高橋「異常じゃないですか?」



「あ。でもね〜それは後々、浜田さんに言われましたね。」



「だからそれこそ。HEY✕3っていうね。そういうこう…音楽番組で。」



「ひどいのよ?あの当時とか。」



「松本さんと浜田さんが。他のアーティストの方と絡んでるじゃないですか?」



「っていうところから…『なるほどな〜』って、チラッとこう見られるんですよ。」



「今、行くの!?みたいな。」



高橋「え〜!来いってことですか?」



「GO(サイン)が出るんですよ。無理無理!無理よ!みたいなw」



「あって。その後に出る新人のバンドの皆が。ああなんなきゃいけないっていう風に皆がなっちゃったのは…」



高橋「ハードル上がっちゃったもう…w」



「お前のせい!って言われて。」



高橋「あ〜!w」



「や。あんたがそうしたのにって思ってますけどねw」



「なんか…変な人生ですよね。変わった。」

西川さんがブレイクしたのは音楽ではもちろんですが、このトーク力も大きかったでしょう。
特に当時、ブレイクしていたアーティストが必ず出ていたHEY✕3でのダウンタウンとのやり取りは大きかったと思います。


今、現在でもT.M.Rといえば「風」と言われるのもこの番組の影響が強いでしょうし、(あとうたばん)
西川さんがこれだけのポテンシャルがあるとダウンタウンのお2人がトークで引き出したことによって、
西川さんってこういう人なんだっていう説明書みたいな効果もあったんではないでしょうか。



第一夜はここで終了し、次回第二夜(後編)へとなりました。



昔を知ってるファンにとっては懐かしく、
最近ファンになった人にとっては西川さんとはどういう人なのか?わかりやすくて新鮮だったんじゃないでしょうかね?


次回はたぶん2000年頃から現在までを振り返り、
当時や今の心境について語っていると思うにで、ファンであれば必見かと!
…そうじゃない人も良かったら見てください!w



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